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a record of inner life

やったことや考えたこと・本・論文・音楽の備忘録。 特に環境科学・生態毒性に関して。

本「安全。でも、安心できない 」「かのように」

リスク 小説

中谷内一也, 2008,安全。でも、安心できない…―信頼をめぐる心理学―,ちくま新書 

8/8読了。いや~面白かったです。以下、簡単に内容のまとめ*1

ヒトの安全に実質的に影響がないレベルの食品偽装や自然災害であっても、ヒトは不安を感じてしまいます(例として赤福の偽装事件が出されています。赤福は期限切れ商品を偽装して販売していましたが、健康被害を生じさせていません。しかし、消費者の「安心」を得ることは出来ませんでした。)それはなぜでしょうか。

 

衣食住、通信や教育など日常生活の大部分を外部に依存している現代社会では、「安全を外部の専門家に委ねる場面」が多く、そこでは専門家・リスク管理者への『信頼』が「安心」と同義です。

ではその専門家・リスク管理者はどのようにすれば人々から信頼されるのでしょうか。本書の内容を本当にざっくりとまとめると、①専門的知識や技術などの「能力があること」と②一生懸命問題に取り組んでいるように、「誠実に見えること」(本書では「高い動機づけを持つ」という言葉で書かれています)、そしてその専門家・リスク管理者と評価者との③「主要な価値が類似していること」が、信頼の重要な要素として考えられています。*2

③の「主要価値類似性」モデルの補足。主要な価値とは、例えば、産業廃棄物処理場建設の是非を経済的価値から論ずるのか、健康リスクの問題と捉えるのか、などの「何を重視すべきか」の考え方です(例はp.107より)。「何を重視すべきか」が専門家と共有できていると認識すれば、その専門家を信頼するという考え方です。

①~③の要素のどれが重要か、要素の重みづけは人によって、状況によって変わってきます。例えば対象となる問題に関心の高い人であれば、関連知識や情報処理を行う動機づけを有しており、問題において何が重要かが明確になっています。そのため、「主要価値類似性」が最も重要となってきます。反対に関心の低い人は自分で情報処理を行いません。そのため専門家・リスク管理者が誠実に問題に取り組んでいるように見えるかどうか、能力を有しているように見えるかどうかが、信頼を決める重要な要素になってきます。

 

本書は3.11 東日本大震災の前に出版されています。

本書は「十分に安全が確保されていているのに、不安を生じさせる」状況を対象にしており、大震災時の放射線リスクがその状況に該当するのかどうかは賛否あるでしょうが、想定されるリスク以上の不安を人々が抱き、行政や専門家らの発表を信頼できなくなったという意味で、本書の内容と合致するところが多いと思います。

では、なぜ当時の行政や専門家らが信頼されなかったのかと考えると、上述の②や③が大きく関係してきそうです。しかしリスク管理という枠を飛び越えて、政府というものへの信頼は、事故前から低かったかもしれないですね。

2014.08.20 追記)東日本大震災に関する著者の論文があったので、読んでみました(こちら)。

 

また、本書は主にリスク管理者・専門家が信頼を得るにはどうしたらよいのか、という視点で書かれています。一般の人がリスクを認知する際には、リスク管理者・専門家とのやり取りだけでなく、マスコミや教育など様々な要因が絡んでくるでしょうが、その辺りの記述はあまりないです。

 

安全。でも、安心できない…―信頼をめぐる心理学 (ちくま新書)

安全。でも、安心できない…―信頼をめぐる心理学 (ちくま新書)

 

 

 

森鷗外, かのように, 「阿部一族舞姫」, 新潮文庫

久しぶりに読みました。やっぱり鷗外の作品はなんというか、奥ゆかしい味わいがありますね。

阿部一族・舞姫 (新潮文庫)

阿部一族・舞姫 (新潮文庫)

 

 

*1:信頼だけじゃなく、感情もリスク認知に影響するという話は省略

*2:外部依存性の高い社会では人を信頼して、すべて委ねてしまう。その専門的な内容は吟味しない。という現象は何もリスク管理だけじゃなく、例えば政治とかも同じかなと、小泉首相郵政民営化選挙を思い出しました。あの頃の世論調査では「郵政民営化のことは良くわからんが、小泉首相は信頼できるから」という意見が多かったように記憶してます。