備忘録 a record of inner life

やったことや考えたこと・本・論文・音楽の備忘録。 特に環境科学・生態毒性に関して。

博士論文の審査会

7月末に終わりました。

夕方5時から、45分の口頭発表と45分の質疑応答。それから主査と副査で非公開の審議によって、合否の判定。審議はおよそ15分ほど。

審議の後、「合格です」とかそういった類の言葉を聞けるかと思って主査の先生のもとへ行ったら、博士論文の修正点についての議論がいつの間にか始まってました。合否について、明確な言及は全くないままに…。自分から先生に確認するタイミングも完全に失ってました。

 

以下、審査会や博士の研究について。思いつくまま書いてみます。

 

■審査での質疑応答

予備審査でもそうでしたが、細かい点についてはあまり突っ込まれませんでした。論文の目的とか、インパクトとか、論理的な一貫性などに関する、根本的な質疑がメインでしたね。技術的な質問もありましたが、それは論文の結論に影響してくる重要なものだから聞いてるという感じ。それら以外の質問やコメントは、事前に渡していた原稿に書いて頂いていました。

45分の質疑は短かったです。もっと言いたいことがあるという顔をしている先生方もいました。

 

■審査後のスケジュール

審査会で頂いたコメントを受けて博士論文を修正します。その締め切りが 8月末でした。審査会から約1カ月ですね。ただ、修正点について主査・副査の先生方からOKを頂かないといけないことや、論文はハードカバーで製本して提出しなければならないことを考慮すると、実質的な締め切りは8月10日あたりでした。なかなかの時間不足でした。その間に投稿論文のrejectを受けて、対応しなければならなかったり…。

 

■博士の研究

博士の3年間は、これまででいちばん充実していると思えました。何より研究が楽しかったです。できる範囲で自分のやりたい研究をやらせてもらえたし、学科の雰囲気はのんびりしていて、人間関係でストレスを受けることもほとんどなかったです。辞めていった博士は結構いましたけど…。

 

まあでも、こういうポジティブな話は他でもしてるので、ここではもうちょいネガティブな内容、反省というか愚痴も吐き出したいと思います。記録として。

最も強く反省するのは、自分の中の違和感に向き合うべきだったこと

D1始めの研究計画は、流行りに乗っかって(2013年だからちょっと遅めか?)、次世代シーケンサーNGS)ありきで立ててました。NGSで大量のデータを取得して云々していくものでした。ただ研究資金の制約からNGSを使えなさそうだと分かり、古典的な手法に頼ることになりました。そこで本来ならば研究目的や計画を見つめなおすべきだったのです。しかし自分は、NGSという手法の新しさに依存していた元の目的を変更しせず、研究を進めました。D3になってようやく「この(古典的な)手法だと元の目的を達成するの無理じゃね?」*1と悟り、用いた手法に合致するよう目的を無理やり変更しました。とはいえ、実験は既にやり終えてますから、結果は変えられません。この実験結果が、変更後の目的を達成したというには不十分だったんですよね。あるいは結果によっては目的との関連が薄く、宙ぶらりんになってました。しかし時既に遅し。追加実験できず。最終的に、なんともちぐはぐな博士論文になりました。

上に書いた通り「NGS高いから使えんわ」となった時点で元の研究目的を見つめなおすべきでした。そうしていれば、宙ぶらりんな章の誕生を防げただろうし、時間に余裕ができて追加実験もできたかも。

実際、進捗を発表する機会は幾度もあり、その度かすかな違和感を覚えてました。何か計画・目的がおかしいな、と。非常に漠然とはしてましたが。そこで少し立ち止まって考えるべきでした。実験を始めてしまうと、その結果の解釈やらなんやらに気持ちと時間を取られてしまって、目的や意義という根本的なところに中々目を向けられないんですね。

 

なら、どうすれば研究の目的や意義を立ち止まって考えられたのか、とここまで書いてきて思いましたが、やはり論文を書くのがベストでしょうか。論文を書くという行為は、目的から手法、結果、解釈、後続の研究や社会へのインパクトなど、全てを含めて研究を見つめなおすことですから。自分の場合は、D3になってようやく投稿論文や博士論文を執筆する過程で上述の違和感が明瞭になったので。結局、こまめに研究を論文にまとめて投稿しよう、というベタな教訓になるのか…。学会や学内での口頭発表や研究費申請書ぐらいでは、結構ごまかしが効いてしまうように思うので、やはりfull paperがベスト。

 

*1:より正確には、結果の質を保ったまま元の目的を達成するには、やはりNGSを使うのがで最良であって、なぜ古典的手法を用いたのかという問いには研究資金の制約としか言えなかった。